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■『神殿』さんへ
>この世には、不思議なことなどないのだよ
『結果があるなら、必ず原因もある。 人類の知識(科学)の及ぶ及ばざるに関わらず。』
というのが僕の持論で、将来『心霊』が間違いなく感知できる対象になる事があれば、僕は
「科学の一部」として喜んで勉強するでしょう。
京極堂の言葉は、「人間が必要としているかどうかに関わらず、あるべき真実は元々存在
している」という事に言及している点で『科学者的視点』であり、非常に好感が持てます。
>違うからこそ意味がある、ってつもりだったんだけど
そう、分かる。 でもそれは「人間」としては大事だけど、「何かを批評する」ときには
『あえて抑えなければいけない視点』だと思うのです。 「批評家」としての自負を持つ僕の
ゆずれんセオリーだと理解してくれるとうれしいです。
そして神殿さん自身にも、もう1歩踏みこみ、僕と同じフィールドでの討論を期待したい、と。 『みんながどう言おうと、俺は○○のこういった所が好きなんだよ!』といった内容を
『具体的かつ客観的』に語ってくれるなら、嗜好の種類に関わらず僕はそういう人を尊敬する。
>様々な話が一冊の本としてまとまった時の「質」
以前にも書いたけど、これは『標本的価値としての質』てヤツですよね。 本のあとがきにも
『その点を友人に指摘された』と本人が言っているほどだし。 書き手は標本を提示し、読み手
が使い方如何(いかん)で『価値を見出す』みたいな。
でも、標本という物は、1つ1つのジャンルに深く掘り込んだ「軸」があってはじめて周りの
同系列素材が活きるわけで、アレコレ雑多に羅列しただけでは価値は薄まると思います。
例えば僕は、講談社の子供向け百科『学校の怪談』(全8巻)がけっこう好きなのですが、
これは「小学校」という誰もが記憶を共用できる場所を舞台とした怪談のみで掘り込む事で、
『郷愁と恐怖と、自分にも思い当たりそうなリアリティ』を体感できる本だからです。
つまり、内容が非常に『濃い』と。
『百物語』と同じ標本系の本ですが、先にこちらを読んでいると、どうしても『百物語』は
味が薄く感じます。 それが先日の僕の評価だった、と言えば、感じが伝わるでしょうか?
>「姑獲鳥の夏」、気に入って頂けた……ようで?
今、100ページ付近です。 まだ事件は起こっていないけど、主人公を含む周りの
登場人物がそれぞれに好感が持てて、先が気になる。 なかなかにテクニシャンです。
実は先日、古本屋に行って同じ本を探してみたところ。 無かったけど。
後日、また探してみようかと画策中。
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